話:
株式会社パソナハートフル 杉田好士郎/文:INITIATIVE編集部
パソナグループの健康推進室で、ヘルスキーパーとして活躍する視覚障がい者の杉田好士郎さん。日々、グループ社員の健康相談の対応、マッサージや指圧による治療などを行い、その穏やかな語り口と的確な健康アドバイスには、グループ社員の間でファンも多くいます。そんな杉田さんは、実はシドニー2000パラリンピックの競泳4×100mメドレーリレーの金メダリスト。しかし、金メダルへの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。今回は
【前編】に引き続き、今年6月に小学生向けに実施された杉田さんの講演内容をもとに、金メダル獲得までの軌跡や、夢や目標を実現するための方法をお届けします。
【前編】はこちら
パラリンピックに出るためには!?
パラリンピックに出るためには、まず最低でも日本で一番にならないといけないと考え、自分の弱いところや問題点を一つ一つ克服するために必死に練習しました。盲学校のプールで一人で泳ぎ、体育館で一人で筋トレをやって…、そして高校3年生の時、ついに日本で一番になることができました。自分の練習の仕方が間違っていなかったことが証明でき、大きな自信を得ることができました。
その後、高等部を卒業して、職業訓練科に進んで按摩マッサージ師や鍼師の資格を取る勉強をしながら、引き続き一人で練習してアトランタ1996パラリンピックを目指しました。
そして、アトランタ1996パラリンピックの国内選考会では100m平泳ぎで優勝することができました!「これでパラリンピックに出場できる!」と思っていたのですが、出場は叶いませんでした。実は、日本では1位になったものの、当時のタイムでは世界ランキングでは20位にも入っていなかったのです。
その時は本当に悔しくて仕方がありませんでした。あんなに練習したのに出場すらできないなんて、どうしたら速く泳げるようになるのだろう…。急に自分の練習の仕方に自信がなくなってしまいました。
コーチを探せ!
次のパラリンピックはシドニー2000パラリンピックでした。「悔しい思いはしたが、少しずつパラリンピックへ近づいている」と自分に言い聞かせながら、自分一人で練習していてもこれ以上は難しいということにも気づき始めていました。
そこで、指導してくれるコーチを探そうと考えましたが、そこからが大変でした。
まず近所のスイミングスクールに相談に行ったのですが、「障がい者を教えたことがあるコーチがいないので、うちでは見られません」とあっさりと断られてしまいました。次に行ったところも断られ、その次も断られ…。結局10件くらいのスイミングスクールに断られてしまいました。
障がい者であることが理由で、指導してもらうことができない。「ただ水泳がやりたいだけなのに!」と、本当に悔しい思いをしました。自分が障害者であることで、何だか世の中全体から嫌われ者になったような気持ちでした。
実は、これは今でもよくある話で、障がい者アスリートの多くが練習場所やコーチを見つけるのに苦労しています。
信念を持ち続けた4年間
受け入れてくれるスイミングスクールを10件以上探し回って、ようやく家から電車とバスを乗り継いで45分くらいのところにある施設が受け入れてくれることになりました。しかし、それは家から1時間かかる盲学校とは、全く正反対の方向。つまり学校帰りの練習には、家を通り越して1時間45分かけて通わなければなりませんでした。
また、コーチが見つかったことで、それまでと比べて格段に充実した練習ができるようになりました。もちろん、練習は相当厳しくなりましたが、それを望んでいましたし、パラリンピック出場のためには、どんなに遠くても練習に通い続け、どんなにきつい練習にも耐えるという覚悟はできていました。
そうした中、按摩マッサージ師や鍼師の国家資格を取得し、1998年にパソナに就職しました。シドニーまであと2年となっていました。
学生の時とは異なり、仕事をしながら練習をするのは本当に大変でした。仕事は学校よりも終わる時間が遅かったため、練習時間自体は短くなってしまいました。コーチをはじめ様々な方からのサポートがなければ、仕事と水泳を両立させ、パラリンピックに出場できるだけの充実した練習をすることはできなかったと思います。
その後も国際大会の経験を積み、世界ランキングでも10位以内に入り、ついにシドニー2000パラリンピックの日本代表に選ばれました。
シドニーまでの4年間には、色々なことがありました。コーチを探して新しい練習環境を作り、鍼とマッサージの国家資格を取得。盲学校を卒業して社会人になり、家を出て一人暮らしも始めました。自ら環境を変えたこともあれば、学生から社会人になる中で自ずと変わったこともあります。
環境が変わる中で、目標を見失わず、ずっと水泳を続けてこられたのは、パラリンピックに出場したいという強い気持ち・信念があったからです。
強い気持ちがなかったら、アトランタの代表に選ばれなかった段階で諦めていたかもしれませんし、コーチを探して5件断られたところで諦めていたかもしれません。または就職して練習時間が少なくなり、仕事との両立が大変だと諦めていたかもしれません。しかし、そうしたらパラリンピックに出るという夢が叶うことはありませんでした。
諦めて途中でやめてしまうのと、強い気持ちをもって諦めずに続けていくのとでは大きな違いがあります。私にとってその違いは、金メダルとなって返ってきました。
挑戦することをやめない
パラリンピックが終わって、帰国してから色々な経験をしました。総理大臣に表彰していただいたり、天皇皇后両陛下とお話しさせていただくこともできました。ずっと頑張ってきた水泳をきっかけに、水泳以外でもいろいろな経験をすることができました。
私は目が悪くて、不便なこともたくさんありますが、自分の得意なことを見つけてそれをどんどん伸ばしていきました。苦手なことから逃げていた時期もありましたが、逃げずに挑戦することも覚えました。
今でも、得意なことも苦手なことも、たくさんのことに挑戦しています。それは、挑戦しながら少しずつ前に進んでいったことで、大きな目標が達成できるという経験することができたからです。挑戦することをやめてしまったら、そこですべてが終わってしまいます。
もちろん、挑戦して努力したとしても、全ての夢や目標が叶うわけではありません。しかし、夢をかなえた人は、誰もが努力しているのは事実です。
トップアスリートと言われる人たちも、すごい努力をしています。それでも、全ての人が成功するとは限らない厳しい世界です。しかし、彼らは心から叶えたいと思う夢や目標があるからこそ、そこまで努力できるのです。
私は障がいがある人でも、障がいのない人でも、夢や目標を持ち、それに向かって挑戦することには何の違いもないと思っています。どんな事であろうと、目標をもって一生懸命頑張っている人は、かっこいいなぁと思いますし、心から尊敬します。
私もこれまで、夢が叶って嬉しかったことがある一方で、目標が達成できずに悔しい思いをしたこともたくさんあります。皆さんもこれから先、様々なことに挑戦する中で、私と同じように嬉しいことも悔しいことも、どちらも経験するでしょう。
それでも、挑戦することをやめないでください。自分の得意なことはもちろん、苦手なことにも挑戦して、一つひとつ階段を上っていくうちに、きっとそれまで遠くにあった夢が、目の前の具体的な目標に変わる日が来るはずです。
挑戦することをやめない。
これが夢を叶える唯一の方法なのです。
パソナグループはオフィシャルサポーター(人材サービス)として、東京2020オリンピック・パラリンピックを応援しています。
東京2020組織委員会人員の人事採用・配置・管理サービス、人材派遣等の領域に携わることで大会の成功に向けて貢献。また、企業研修等のサービスノウハウを活かして、アスリートの競技生活と仕事を両立させるダブルキャリアの支援をはじめ、東京2020大会を機会に新たな挑戦をスタートする方々の夢の実現をサポートします。
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