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環境だより「SONAERU」

“災害は起こるもの” だからこそ、私たちは語り継ぐ。

「匂いや風の音、一面に広がるがれきの山。これは、テレビ映像では伝わらないものでした―」

関東大震災から今年で100年。そして、東日本大震災から12年が経ちました。今、当時の災害をどれだけの方が覚えているでしょうか。


パソナグループでは毎年9月、過去の災害を忘れず行動を起こし、そして防災を自分ごととして捉えて備えるための「防災月間」を設けています。これまでも、防災や災害に関する学びの機会や、防災備蓄品の提供など、一人ひとりが災害を“自分ごと”として捉えることができる機会を創出してきました。

そして今年は、9月25日、東京・南青山「PASONA SQUARE」にて、防災月間 特別セミナー「関東大震災100年を迎えて~私たちにできる防災とは~」を開催。今回は、当日のレポートをご紹介します。

第1部:これまでの災害の変革とその経験から学んだこと

世界から“地震大国”と呼ばれる日本。震災をはじめ、これまで様々な災害を経験し、その教訓をもとにそれらの危機を乗り越えてきました。第1部では、赤坂消防署よりこれまでの災害の歴史と防災意識の変革について、そして災害時における帰宅困難者への取り組みについてお話しいただきました。

赤坂消防署よりメッセージ

今年で関東大震災から100年を迎え、近日ではメディアを通じて関東大震災の映像を目にすることが増えたように感じています。日本中で災害に対する意識が高まっているなかで、皆さんにもぜひ本日のようなイベントを通じて防災知識を身に付けていただきたいです。

そして、気づけば「東日本大震災」の発生から10年以上が経過しました。東日本大震災発生当時、私たちはまさに仕事をしている時間帯でしたが、この会場にはまだ学生だった方も多くいらっしゃると思います。つまり、“オフィスで被災をしたことが無く、オフィスにおける防災がよくわからない”ということです。そのような世代に向けて、今私たちが様々な場面における防災知識や経験を、改めて伝承していく必要があるのだと思います。

第2部:東日本大震災の経験を発信

第2部では、東日本大震災当時、パソナ・仙台の支店長を務めていたパソナマスターズ 竹原剛副社長に、当時の様子やパソナグループの復興支援の取り組みについてお話いただきました。

「このまま死んでしまうんだ」と、本気で思った

震災当日、私はパソナ・仙台の18階オフィスで就労支援イベントの運営を行っていました。イベントの最中に突然揺れを感じ、会場の参加者と「今日の揺れは大きいね」と話していたのですが、気が付いたらあっという間に部屋の机が飛び跳ね、立っていられない状況になりました。

「皆さん、机の下に伏せてください!」と急いで言ったものの、揺れで机が飛び跳ねてしまい、机の下に伏せることもできなくなりました。さらに、横にあった鉄のパーテーションがバタバタと次々に倒れ始め、隣にあった100キロ近くの重さがあるコピー機がオフィス内を動き回っている状態でした。

そのような状況の中で、「あぁ、このままこのビルは真っ二つに折れて、私たちは死んでしまうんだ」と、本気で思いました。本当に、そのくらい揺れるんです。先ほど赤坂消防庁の方からもお話がありましたが、まずは自分の身を守ること。それをぜひしっかりと行っていただきたいと、今でも改めて思います。

その後、揺れが収まりオフィスを出て避難所に向かわなくてはいけない状況でしたが、電気、水、通信など、次々にインフラが遮断され雪も降ってきました。揺れは収まりましたが、そのあとすぐに、“この後、私たちはどのように自分の身を守っていくのか”という次の課題に直面しました。

匂い、音、360度に広がるがれきの山―。テレビ映像では伝わらない現地の状況

東日本大震災発生時、宮城県南三陸町 町長のお話を覚えていますか。当時、町防災対策庁舎で指揮を執っていた町長は、他の職員と共に屋上で津波にのまれました。
危機一発自身の一命はとりとめたものの、目の前で部下43人を失ったご経験をされたのです。この写真は、実際の庁舎の写真です。

そして左下に映っていらっしゃるのは、パソナHRソリューションの石田正則会長です。震災発生後には、全国パソナグループの方々が現地に駆けつけてくださりました。

正直なところ、震災直後に視察に来て下さった方々を、一人ひとりご案内するのは大変な部分もありました。しかし、たくさんの方々をご案内している中で、自分の目で見て被災地を見ていただくことの重要性に気付くことができました。仙台支店でも様々なものが破損し本当に大変な状況でしたが、幸いなことに怪我人は出ませんでした。しかし、ほんの10キロ海側に足を運ぶと、このような状況だったのです。

この写真からも被害の大きさがわかると思うのですが、実際に現地に足を運ばないとわからないものがあります。匂い、風の音、そして波が引いて泥まみれになったがれきが、360度広がっている光景―。これらは、テレビ映像からは伝わらないものでした。

これを感じていただくためには、やはり現地に足を運んでいただくこと。そして、五感を通じてご自身の肌で、「本当に大変なことが起こっているのだな」と感じてもらい、そしてそこから「自分には何ができるのか」を感じてアクションに繋げていただくこと。今はそれが一番大切なんだなと、私たちは皆さんを案内しているなかで次第に気付かされていったのです。

一つの判断で、大きく分かれた結果

災害時には、一つの判断でその後の運命が大きく変わることも痛感しました。

仙台の同じエリアにあったある2つの小学校。震災直後、ひとつの小学校はすぐに高台に避難し、死傷者は0人でした。一方で、近くにあったもうひとつの小学校では高台に避難することができず、児童・職員合わせて84名もの方々が亡くなってしまったのです。

また震災後、残念ながらパソナでご活躍くださっていたエキスパートスタッフの方お1人が亡くなってしまったということがわかりました。派遣先のクライアント企業様からも非常に信頼の厚い方で、小学生と中学生のお子様をお持ちの方でした。

震災当日は、お子様の中学校の卒業式だったそうです。昼食にファミリーレストランへ足を運んだところ揺れを感じ、お母様が「貴重品を取りに少しだけ戻る」と言って出てしまった後、お一人だけ津波にのまれてしまったのです。

これは、今回の東日本大震災に限った話ではないと思います。災害時には、多くの判断に迫られます。事前に災害が起こった場合を想定し、防災知識と心の備えを持っておくことが重要だと思います。

「私たちは被災者だけど、被災者じゃない」

震災後、「私たちは被災者だけど、被災者じゃない」と常に感じていました。家が潰れてしまったり、海に流されてしまった方もいます。それでも前を向いて、「自分たちにできることをやろうよ」と、みんなで声を上げて始めたのが「災害復興支援隊」でした。

この活動は、実は南部代表からいただいた義援金を活用して始めたものです。ガスコンロや食材を集めて、様々なところで炊き出しを行いました。車に貼られているラベルも、東京のメンバーに依頼して急遽作っていただいたものです。こうやって、全国のパソナグループの方々に助けられながら、本当にたくさんのところに足を運んで支援の輪を広げました。

活動を通じてたくさんの方々に出会いました。なかには、新婚で「家が流されてしまったんですよね」とお話している警察官の方がいらっしゃったのですが、そのような状況でも震災後に自身で臨時交番を建てて、多くの方々を必死に支援していました。
被災者でありながらも周りの方々のために尽力している人々を見て、とても胸が熱くなりましたし、私たちも今できることを精一杯やらなければいけないと改めて感じました。

全国で繋がるパソナグループの支援の輪

その後も、地域の行政書士の方と「雇用経営相談会」を開催したり、NPO法人や大学と「キャリアカウンセリング」を開催したり、東北を巡り地域ごとに根付く植物を植える「いのちの植樹イベント」に参加したりと、様々な取り組みを行いました。やはり、こういった想いのある取り組みは、多くの方々に喜んでいただけました。「やっていてよかったな」と、今でも本当に思います。

△「いのちの植樹イベント」への参加

また非常に嬉しかったのが、全国のパソナグループの社内ボランティアメンバーが何十回も東北に足を運び、復旧活動に尽力してくださったこと。パソナの仕事とは関係のない、被災地の泥のかき出し作業などの復興活動にも参加してくださり、様々な場面で活躍しているパソナグループの社員の姿を見て、「やっぱりパソナってすごいな!」と思ったのを今でも覚えています。

△若者の求職者支援イベント「震災ワークレスキュー」

またその後、地域復興を目的とした「東北フードマラソン」や、ベネフィット・ワンが企画・運営した「東北六魂祭」などにも取り組みました。こんな大きなイベントを開催できる会社は、なかなかないですよね。本当にパソナグループの誇りだと思います。

△(左)「東北フードマラソン」  (右)「東北六魂祭」

またその後、NPO団体から依頼を受けて、高校生に向けた「キャリア教育」も開催しました。「震災でおばあちゃんが亡くなってしまい、それからやる気がでない」といっている子や、「そもそも働きたくない」と言っている子もいたり、様々なバックグランドを抱えた子どもたちがいました。

そういった子どもたちに向けて、「働くということは、これまで身に付けた経験や知識を活かして、自分を表現していくことなんだよ。そうしたことを通じて、社会のためにできることを広げていって、自分の大切な家族や仲間が喜んでくれたら嬉しいじゃん。それが実現できるのが、“働く”っていうことなんだよ」と、伝えました。話を聞きながら、次第に目を輝かせていく子どもたちの表情を今も覚えています。

そして、このような全国のパソナグループの取り組みを、社内報「働楽人」を通じて情報発信していました。仲間と助け合いながら全国で復興に向けて取り組む姿を見ていて、“共助の心”をまさに感じられた機会でした。

「パソナってすごいな」と、改めて感じた瞬間

震災直後、全国のパソナグループから支援物資が届きました。それを夜通しで袋分けし、翌日から300名ほどのスタッフの方々、一人ひとりに手渡しで配りました。

私は仙台支店から一番遠いスタッフの方に支援物資を届けるために車を走らせたのですが、事前にかけたお電話では当初、「気持ちは嬉しいけど、会いたくない」と言われていました。現地で無事お会いすることができたのですが、現地について初めて、スタッフの方が「会いたくない」と言っていた理由がわかりました。

その方は、髪の毛は乱れ、来ているスエットは固まった泥まみれな状態で、「こんなにみっともない姿を、パソナさんに見せたくなかったんです」と泣いていらっしゃいました。しかし、「みんな同じです。みんなで一緒に頑張りましょう」と声をかけ、袋に詰めたイチゴや野菜をお渡ししたところ、涙を流して喜ばれていらっしゃいました。本当に、全国のパソナグループの支援があったおかげだったと思います。パソナってすごいなって、改めて感じた瞬間でした。

これらのお話を通じて私が伝えたかったことは、これらの取り組みがいいとか悪いとかではなく、このような状況になった時に「自分たちは何ができるのか」を探して、行動していくことの大切さです。

まずは自分の身の安全確保。その次に、周りの人たちのために自分に何ができるのかを考え行動していけるように、日ごろの備えを意識していただく機会になれば幸いです。