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INITIATIVE「自分のキャリアは自分で創る」WEBマガジン

ひと 2024.10.08 異色のキャリアが育んだ、多様な人材と共創する力

パソナグループは、2025大阪・関西万博にパビリオンを出展します。テーマは「いのち、ありがとう。」、パビリオンの名前は「PASONA NATUREVERSE(ネイチャーバース)」です。その展示・運営の企画調整、人協調型ロボティクス(展示に関連する内閣府事業)の研究開発等を担当するのが、パソナグループNATUREVERSE総本部の万博本部。現在、万博本部 副本部長として活躍する小沢達也さんにお話を伺いました。

大阪・関西万博は、未来を占うターニングポイント

―今、小沢さんが所属する万博本部というのは、何をする部署ですか。
我々パソナグループが大阪・関西万博に出展するパビリオンの建築、展示、運営全体を調整する主管部署です。パビリオンの建物は、建築家・板坂論(いたさか さとし)氏のデザインで、アンモナイトと巻き貝をモチーフにしています。

―開催まで一年を切り、とてもたくさんのことをスピーディに進めなくてはなりませんね。
それぞれの展示の企画を監修いただいている方、実際に設置や施工を考えてくださっている事業者の方々と、連携協力をしながら進めています。
パソナグループにとって今回の万博への出展は、会社のこれまでの50年の歴史と、今後50年、100年後の未来を占う意味でもターニングポイントになる重要な事業です。色々な方の想いをくみ取りながら、合意形成をしていかなければいけないところが大変であり、やりがいがあります。

―今までも国家的なプロジェクトに携わってこられたんですね。
直近は、パソナのパブリック本部というところで、主に自治体の産業振興に関わらせていただきました。その前は、2020東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会に7年ほど出向し、人事部で人員計画立案の責任者をしていました。大会本番に必要な人材のリソース、人数でいうと30万人弱ぐらいの計画を5年間かけて作るというのが一番大きなミッションでした。
2020年7月の大会に向けて、2015年の4月から出向していましたが、2020年3月に大会自体の1年間の延期が決まりました。それで採用を一旦凍結したり、50以上あった部門と個別に対話をしながら、計画を見直してもらったり、延期前にはなかったような業務も追加されたりしたので、調整しながら進めました。

 
▲1年遅れで迎えた2020東京オリンピック・パラリンピック

1万人の“代理店ネットワーク“を創ろう!

―たいへんな役割を担われたのですね。ところでパソナに入社されたきっかけは。
大学の友人の紹介でパソナという会社を知って、説明会に出たのが最初です。1999年の入社で、当時パソナグループは阪神・淡路大震災の後の神戸復興にすごく注力をしていた時期でした。南部代表の神戸復興にかける想いや、パソナグループを立ち上げた考え方や理念に、一目惚れをしました。また、採用試験を受ける過程の中で出会う同期たちのキャラクターに惹かれました。こういうトップの下で、こういう人たちと一緒に仕事をしたら面白そうだなと思い入社しました。

―入ってみてどうでしたか。

最初は人材派遣サービスの営業をしていたのですが、支えてくれる同じ支店の先輩やメンバーに恵まれました。夜遅くなることが多かったですが、仕事が終わってみんなでワイワイと話したり、飲みに行ったり、ご飯に行ったり、そういう日々の繰り返しの中で徐々に力をつけて半人前から一人前になっていく経験をさせてもらいました。それはすごく大きな礎になったと思いますし、実は今もその当時の上司や先輩とは本当に仲が良くて、定期的に会ってご飯に行ったりしています。
その後、ソリューションプランナーという立場でHRコンサルティングの仕事をしたあと、営業総本部の中にある「REP(レップ)」という代理店ネットワーク事業のチームへ異動しました。大手企業のOBの方とか、サムライ業(士業)と言われる中小企業診断士、税理士、社会保険労務士といった専門家の方々から、お客様や顧問先の人材ニーズを紹介していただき、パソナグループ各社の営業部門と共に対応する仕事でした。REPの皆さんはすごい経験と人脈を持っている人たちで、日々、そういった方々と一緒に仕事をしているのが本当に面白くて、すぐにのめり込みました。

―それで、そのあと社長になられたんですね。
いくつかパソナグループの関連子会社の立ち上げを経験し、3つ目がこの「REP」事業を会社にするというものでした。「株式会社パソナレップパワー」という会社を作ろうという話になって、事業計画を作って、取締役会決議の資料を作って、託して、決議されて「会社を立ち上げることに決まったぞ」って言われて…。嬉しかったのも束の間、その日に南部代表に呼ばれて「この会社を小沢君に任すから」って言われたんです。
めちゃくちゃ驚きました。当然、自分がそんな立場になるとは夢にも思っていなかったので。当時はまだ28歳で、入社6年目でしたが、「是非やらせてください!」と言いました。
実感がなかったのですが、いざ社長という立場になって人と会うと、相手の態度とか接し方が違うというのがすごく大きな発見でした。REPの企業OBや顧問の皆さんも会社を良くしていこうと盛り立ててくれました。色々な業界出身の元経営者の方々から直接薫陶を受けながら会社を運営していくという経験ができたのは、すごく大きかったと思います。

当時のことではっきり覚えているのは、南部代表からいただいた言葉です。急に社長になって、まだ視座が低かったんでしょうね。代表から「最近どうや」と言われて、「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」(「史記」)という言葉をいただきました。「もっと視座を高く持ちなさい」と。その言葉をきっかけに、以前よりも俯瞰して物事を見たり考えたりできるようになりました。
2010年の6月に札幌に異動するまでの5年間、「レップパワー」で全国47都道府県に1万人のネットワークを作ろうと大きな目標を掲げて、日々全国に出張していました。

公私ともに充実した北海道時代

―そしてパソナ・札幌の支店長になられました。ご家族と一緒に赴任されたのですか。
なんの縁もない地域ですし、家族は地元(埼玉)を離れたくなくて泣く泣くでしたが、まだ子供が6歳と3歳だったので、一緒に行きました。ただ、一言で言うと、札幌は最高でした!
結果的に5年弱ぐらい赴任していたのですが、北海道全域で人材派遣事業を伸ばすという大きなミッションがある一方で、当時はちょうどリーマンショック後の就職難の時期だったんです。緊急雇用対策ということで、パソナでもフレッシュキャリア社員制度というのをやっていましたが、それを札幌でも立ち上げたり、各自治体からの受託事業として新卒未就職者の就労支援をしたりしました。また、農業の六次産業化を支援するための人材を派遣する事業をやったり、中小企業を支援するための専門家ネットワークを強化する事業もやっていました。北海道全域を回りながら、地元の方々とネットワークをつくり交流を重ねました。
週末は家族と一緒に色々なところへ行くことができました。札幌は、車で1時間も行けば観光地がいっぱいあります。旭山動物園には2時間ぐらいで行けますし、自然が綺麗な富良野・美瑛、小樽、積丹半島に行って、蝦夷バフンウニを食べたり。札幌市内のパウダースノーのスキー場にも車で20分で行けますし、公私ともに充実していました。家族もめちゃめちゃ喜んでましたね。

 
▲札幌時代には家族とスキーを楽しみました

―色々な経験をされてますね。
パソナグループの社員の中でも、かなり特殊なキャリアかなと思います。一つひとつのタームが5年刻みぐらいで、今、入社から25年が経ちました。
恥ずかしながら「ああしたい、こうしたい」と自分の意思で手を上げて異動した経験がないんです。ただ、態度でPRするというのは、すごく意識しているかもしれません。いつも全力で楽しむ姿を周りの人たちに見せるというか、新しいことをやり、結果も残し、オリジナリティを盛り込むことを常に意識してやってきたように思います。

相手をリスペクトして、価値観を受け入れる

―仕事をする上で大事にしていることや、こだわっていることはありますか。
世の中には多様な価値観を持った人たちがたくさんいて、一般的にはダイバーシティという言い方をしますが、実は東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会に出向したときには、民間企業出身の人と行政出身の人の価値観は全然違いましたし、同じ行政でも国と東京都、都道府県の自治体と市町村でも全然違う。民間企業でも、パソナグループのようなサービス業の会社もあれば、電機メーカー、金融機関、鉄道会社、イベント会社など、ありとあらゆる業界の450ぐらいの団体から人が集まっていたので、最初はぶつかるんです。互いの価値観で自分たちの思いを主張するから、あちこちでコンフリクト(衝突)が起きる。
これを解決していくためには、まずは相手をリスペクトして、相手の価値観を受け入れるところから始めないと、物事は上手くいかないというのを理解しました。
一人ひとりが力を発揮するためにも、相手をリスペクトしていることをきちんと言葉に表すことをコミュニケーションの第一歩として相手と向き合い、たとえどんなコンフリクトが起きたとしても、終わるときには「ありがとう」と言う。感謝の思いをしっかりと言葉として伝え、言葉として伝え忘れても表情や態度で思いを伝えていくのはすごく大事です。そうしたことを意識して行動してきたことで、協調しながら物事を進めてこられたのかなと思います。そうした経験は今の仕事にも活かされていると思っています。
とはいえ、これは理想論で、今の私がその境地に到達できているかというと、そういうわけでもありません。(笑)

―パソナグループをどんな会社だと思っていますか。
「新しいことにチャレンジし続ける会社」です。一人ひとりに機会があって、チャレンジが許されている。挑戦したいと思う限り、誰でもチャレンジでき、自分のアイデアをぶつければ、それを評価してくれます。全社員から新規事業提案を募集する「チャレンジの日」や、人材を求める部門に自ら手をあげて異動できる「オープンポジション制度」もそうです。
「明るく元気に前向きに、社会の問題点を解決することができる」会社です。

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