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INITIATIVE「自分のキャリアは自分で創る」WEBマガジン

ひと 2021.01.29 これまでのキャリアの全てが活きている!長野県に移住し、雇用促進と人材育成に挑戦中

文:INITIATIVE編集部

長野県の真ん中に位置する辰野町は、諏訪湖を源流とした天竜川が流れ「蛍の町」として知られています。東京からも名古屋からも車で3時間ほどの距離にあり、中央アルプスを望む美しい里山です。
パソナグループ人事部に所属していた福田幸子さんは今、辰野町役場の「まちづくり政策課」で仕事をしています。総務省の「地域おこし企業人交流プログラム」で2020年7月1日に移住。3年間にわたり地域人材の育成と雇用促進を担当する予定です。タヌキやイノシシ、サル、クマも出没する所に暮らしはじめた福田さんは「水も空気も景色も美しい町」だと目を輝かせています。

たまたまのご縁で出会った辰野町


― そもそもなぜ、辰野町に移住することになったのですか。

私が参加していた異業種交流会の方が家族ごと辰野町に移住していて、交流会のメンバーに遊びに来ないかと声をかけてくださり、数人で遊びに行ったのが始まりです。
当時、私はパソナグループの人材開発部にいまして、「人材育成のプロたちが東京から来るんだったら『人を育てる』ことについて地元と交流会をしよう」ということになり、そこに教育熱心なお母さんたちや、町役場や県の教育委員会の方などもいらっしゃいました。そこから、その会が定期的に開かれることになり、2ヶ月に一度、辰野町に通っていました。

それで私も町のことを知るようになり、「町役場の方がとても熱心だし、面白そう」「移住もできるんだ」「コロナ禍で、もしかしたらテレワークの時代になるかも」「それなら2拠点で仕事ができるかもしれない」などと考え始めていたときに、役場の方から「こちらに来てくれないか」というお誘いをいただき、実際に来てしまいました。



― 役場で何をしてほしいと言われたのですか。

町の課題は人口減少に伴う少子高齢化と過疎化です。私に与えられたミッションは、その課題に対して女性とシニアの活躍推進、また、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が始まってテレワークという働き方が注目されてきた中でテレワークを推進すること。すなわち雇用促進と人材育成です。これは私がパソナテックに在籍していた2011年に「ひとり親家庭の就業支援事業」を松山、岡山、相模原、仙台で展開していたこともあり、経験と知見のある分野です。

― 具体的に、今はどのようなことをされているのですか。

女性の活躍推進については、何をすべきかを検討しているところです。約1,800人の町の子育て中のママさんにアンケートを取って課題抽出をして、その課題を解決する方法を3年間で打ち出していく予定です。テレワークを推進することも重要ですが、その前に働く場所を確保する必要があります。アンケートをとる中で、ここは製造業が多いので、働くことに対するイメージも東京とはちょっと違うことがわかりました。

まずは、町民の声を聴くことが大事だと思っています。テレワークや、働く場所、子育てについての相談の場所も作らなくてはいけませんし、啓蒙セミナーもしなければいけません。そもそも活躍の場を広げると言っても、管理職を増やすだけではないと思っていて、「辰野町における女性活躍って何だろう」という定義づけからスタートしています。それをシニアの活躍推進でも、やっていくつもりです。

町としては「何とかしなきゃいけないけれど、何をしたら良いかわからないのでノウハウが欲しい」という状態ですから、私が持っているノウハウでまずは整理をしています。

人材育成に関しては、中学校や高校、町立病院、100人ほどいる役場の職員の皆さんにもキャリア教育をさせていただいています。役場の中では、新人教育から始まって、管理職などにも実施してほしいというお声をいただいています。また、町内の企業からも相談があるので、そこでも実施しています。

そうした活動を通じて、この2月に「女性しごと相談室」が開設されることになりました。就業や転職、子育てと仕事の両立などに関するご相談や、採用面接や応募書類作成のポイントなどについてお話しさせていただくほか、企業側にもヒアリングを進めていきたいと考えています。


今までのキャリアが全て活きている


― 辰野町に住むようになって、今、どのように感じていますか。

私のキャリアが全て活きていると感じていて、最高です。ここに来ると決めたのも、役場の方からミッションを言われて、絶対に私のキャリアの集大成になるだろうと思ったからです。

元々、私はITエンジニアですから、そのスキルやノウハウ、論理的思考に加えて、「ひとり親事業」で自治体関連事業も経験しているので、自治体でどう物事が進んでいくかということもわかります。パソナグループとパソナテックで人事の仕事もしましたし、人材育成という面でも国家資格であるキャリアコンサルティング技能士2級を持っておりキャリアコンサルティングもできます。これら全てがいま、活きています。また、子育てをしながら仕事をするという経験も、女性活躍推進を行う中で活きています。
本当に、仕事を続けていて良かったと思いました。続けていたことが、全て今の仕事につながっていたんだと思わざるを得ないぐらいです。続けることの大切さを感じています。

― エンジニアも経験しているんですね!?

はい。新卒でITベンダーに入社し、10年間ほどシステムエンジニアとして仕事をして、その後、その企業の人事担当として新卒・中途採用と人材教育をしていました。その会社の副社長がパソナテックに移られたときに誘っていただいて、私もパソナテックに入社しました。そこでは人材紹介、採用代行、自治体プロジェクトもしました。IT分野の雇用促進をしている全国の自治体を研修講師として飛び回る経験もしました。そして、2013年に人事に異動になり、その後、パソナグループの人財開発部にジョインしました。
私にとってキャリアの第一の扉がエンジニア、第二の扉が自治体事業、第三の扉が人事、そして今、辰野町で第四の扉が開きました。年齢的に、第五の扉もあると思います。地方創生をキーワードに、地域づくりや地域の活性化の経験を活かせるのではないかなと思っています。

― 福田さんの持てる能力をフルに活かせるということは、町がそれだけ受け入れてくれているということですね。

偶然の出会いで辰野町を知ったのですが、この町は元々、移住者が多い所だったんです。長野県は「移住したい都道府県ランキング」で日本一で、その中でも、移住モデル推進地区のひとつになっているのがこの辰野町です。辰野町には多くの移住者が来ており、外から来る人を受け入れる風土がありました。

首都圏から移住してきた人に何人もお会いしたのですが、皆さんイキイキとしているんです。特に印象的だったのが、東京でブティックを開いていらした60代のご夫婦。山登りが好きで、いずれは山のあるところで住みたいと、山登りしながら移住先を探していたんだそうです。その方が辰野町に来たときに、理屈じゃなく「ここだ!」って思ったんだとか。

移住定住促進の一環で古民家のリノベーションもしているのですが、それ自体が町のプロジェクトになっていて、町民もみんなでリノベーションに参加する。役場の人も、地区の人も、トンテンカン、トンテンカンとやり始めているプロジェクトが何軒もあります。
それで、役場だけではなく、町自体が移住者を受け入れてくれるんだということがわかりました。「じゃあ、私みたいな東京でしか住んだことがない人間でも、行っても大丈夫なんだ」と思い、実際に来てみたら、こんな50代の私を本当に受け入れてくれるんですよ。ちゃんと温かく生活面、仕事面からすべてサポートしてくれました。そこが、この町の素晴らしいところです。


いつも周りの人が気にかけてくれる


― どのような時に、受け入れてくれていると感じるんですか。

いつも気にかけてくれるということですね。例えば、引っ越しをしたときに大きな家具を買ったのですが、自分で組み立てなくてはならなくて「困ったなぁ」と思っていたら助けに来てくれる。ご自分の畑の野菜を山のように持ってきてくれる。ズッキーニ、きゅうり、トマト、いんげん、りんご…、どれも美味しくて(笑)。こうしたことをしてくださるということが、受け入れてくれていると感じるところです。

移住する前、ここに通っている時期に町民の方たちとお友達になったんですね。すでに仲良くなっていたので、移住前から色々なことをものすごく手伝ってくれました。コロナ禍で、事前に住まいを探しに来られなかったのですが、「カーテン開けた瞬間に中央アルプスが見えること」という条件で住まいをお願いしたら、代わりに探してくださったり。すごいでしょ!?(笑)
町民の方々から心を開いて近寄ってきてくださって、助けてくださっているんです。ですから私も開かないとだめだと思って、地域の歴史探訪会に入って一緒にお散歩して探訪したりしています。

東京の家は引き払ってきました。私の両親は、「活躍できるなら行ってらっしゃい。すごいじゃない」と褒めてくれましたし、娘は「お母さんを誇りに思う。尊敬してます。頑張ってきたかいがあったね」と言ってくれました。これを聞いて、私は「子育てはこれでコンプリートだ」と思いました。涙が出ましたよ。会社でもすぐに、いい話だと言って送り出してくれました。

― 皆に祝福されての移住ですが、大変なことはありますか。

生活面は初めてのことがたくさんありますが、これが楽しいんですよね。仕事では私が提案することを素直に聞いてくださっています。大変なのは…、しいて言えば寒いことでしょうか。
とにかく生活の質が最高です。水道の水が美味しいし、トマトってこんなに甘かったんだって思いました。空気はきれいですし、夜は星がプラネタリウムのようだし、虫がいて、蛙が跳んで、花が咲いて、日本にこんな素敵なところがあったんだって思いました。暮らしが豊かであることで、自分にエネルギーがみなぎって、仕事も捗ると感じています。


辰野町を「日本一」にしたい


― これから何を実現していきたいですか。

辰野町を「日本一」の町にしたいと思っているんです。移住先としての日本一はもちろん、今も中学校や高校など、色々なところでキャリア教育をさせていただいていますが、学校教育におけるキャリア教育も日本一にしたいと思っていますし、テレワークやモバイルワークの拠点としても日本一にしたい。この3つを目標にしています。志は高くです(笑)。

パソナという会社は、世の中を変える力のある会社だと思っています。時代が変わっていく中で、人材サービスだけでなく地方創生事業に注力しています。私は中途で、しかもエンジニアという技術職で入社しているので、最初はかなりカルチャ-ショックを受けました(笑)。でも、そのカルチャーショックの経験を経て、技術の力と、人を大切にして「人を活かす」という社風が融合したことが、今の私の強みになっています。その強みを見つけさせてくれた会社です。エンジニアとして入社した会社でも鍛えられましたが、パソナでも鍛えられました。お礼を申し上げたいと思います。

私は地方創生をしたいと思って、辰野町にやって来ました。私のような形で、地方創生に関わる人がいるんだということを、もっと知ってもらいたいです。地方に行くとすごくノウハウが溜まります。そこでスキルアップを図り、それを持ちかえって展開するというキャリアも良いと思うんです。やりたい方はたくさんいると思うので、あとはマッチングですね。私自身、毎日が楽しくて、本当に楽しい人生を送っていますから、多くの人にチャレンジしてほしいですね。

人生や仕事に影響を与えた本

『考え方 人生・仕事の結果が変わる』(稲森和夫著)です。「仕事の結果イコール考え方と熱意と能力の掛け算だ」という彼の哲学を知って、これが、座右の銘になっています。辰野町でも、色々な人に伝えています。

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