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INITIATIVE「自分のキャリアは自分で創る」WEBマガジン

ひと 2020.10.26 淡路島へ移住した社員が実践する「新しい働き方・生き方」とは

文:INITIATIVE編集部

パソナグループは9月、兵庫県・淡路島への本社機能の一部移転を発表しました。働く人々の「真に豊かな生き方・働き方」の実現と、グループ全体のBCP(事業継続計画)対策が背景にあります。そうした中、パソナグループの経営企画部に所属する岡田智一さんは9月1日に、いち早く淡路島に移住した一人。パソナグループの関連会社に勤める奥様と、もうすぐ3歳になる娘さんと3人家族です。淡路島に移住した今、どのように暮らし、何を感じているのでしょうか。お話を伺いました。


淡路島の生活を心から楽しめています


― 淡路島に移住して1ヶ月半ですが、住み心地はどうですか。岡田さんが働くオフィスからの眺めは「日本の夕陽100選」に選ばれるほどの絶景と聞きました。

毎日、目の前に海を見ながら仕事をしています。こちらの生活は本当に快適で、集中して仕事をしていても、目線を少し上げるだけできれいな景色が広がり、フッと心のスイッチをオフにできる瞬間があるので、とても快適です。淡路島での生活を心から楽しめています。

今、住んでいる社宅の隣がコンビニで、大きなスーパーが目の前にあって、大きなドラックストアやホームセンターもすぐそばにあるので、想像していた以上にとても便利で暮らしやすいです。家は6階でベランダから海が見えて、朝日も夕日も見えます。服はネットで買いますし、徒歩以外で買い物に行くことはほとんどありませんね。

妻の働いているオフィスは、私の働いているところから少し離れているのですが、朝一緒に出るときは、まず家から10分ほどのところにある保育園に娘を送って、それから妻を職場で降ろして、自分の職場に向かいます。別に出るときは、別々の車で出ます。職場を循環するバスもあるので、それを利用するときもありますね。ただ、車があったほうが便利なのは事実です(笑)。今は社有車をシェアして使わせてもらっていますが、今後は会社から補助が出るカーリースを考えています。

帰りは妻と一緒の時もあれば、別の時もあります。妻は17時半に帰りますが、私は18時~20時くらいでしょうか。淡路にいても東京の時と同じ仕事ができるので、仕事量は以前と変わっていませんね。

― 東京に住んでいた時と比べて、一番違うのは何ですか。

通勤のストレスから解放されたことが一番大きいです。東京では以前、会社から1時間ほどのところに住んでいたので満員電車がひどくて…。それが嫌で会社から近いところに引っ越したのですが、その分家賃が高いので、子供がいながら狭い1LDKに住んでいました。

しかし、今では3LDKでのびのびと暮らし、家賃は10万円程安くなりました。魚や野菜は新鮮で安いので、東京の頃よりも生活費はかからないです。
ただ、ガスはプロパンガスですし、水道光熱費は東京よりもかかるのと、保育園料も高くなりましたね。でも、それも含めて、家賃が安くなった分、東京よりも生活コストは大幅にダウンし、生活環境ははるかに豊かになりました。
また、東京では通勤はストレスの時間でしたが、淡路島では海を見ながら運転するリフレッシュの時間に変わりました。

移住前に思っていた以上に、不便なことは少ないです。あ!でも通信環境があまり良くなく、突然電話が切れる場所があります(笑)。困っているのは、そのぐらいですかね。

自然の中で子供を育てたい


― もともと淡路島への移住は、ご自身から希望したんですか。

今年の2月~3月頃から考え始めていました。コロナのこともあって、この先、働き方をどうしようかと考える中で、どこにいても働けるなと思うようになって。では、どこで働きたいかと考えたときに、東京よりも淡路島の自然の中で働くほうが、心豊かに働けるのではないか、と。
もうひとつ大きかったのは、娘をどこで育てたいかということです。東京のコンクリートに囲まれた中で育てるよりも、海と緑に囲まれた自然の中で育てたほうが子供にとっても良いのではないかと思いました。コロナもあって、東京では外で遊べる機会が減っていましたしね。

3月に妻に相談したら、私よりむしろ前向きで「いつ行くの?早く決めてよ!」という感じでした(笑)。妻は青森出身で地方育ちなので、子供を育てる環境は地方の方が良いという思いがどこかあったみたいです。私は千葉出身なので、関西は夫婦共に馴染みはないんですけれどね。

私が最初に淡路島に訪れたのは2012年頃で、のじまスコーラがオープンする少し前でした。その当時は、今のような賑わいはありませんでしたが、プロジェクトのメンバーが、「これから淡路島で地方創生に取り組んでいこう」という活力に溢れていて、話を聞きながらワクワクしたのを覚えています。
その頃から考えると、今は全く景色が違いますね。パソナグループの施設もたくさんできて、リゾート感いっぱいの魅力溢れた場所になりました。



― 仕事内容は東京にいた時と変わりましたか。

今も、東京で働いていた時と同じ経営企画部にいます。東京でもリモートワークはしていましたし、淡路島に移住することを決めてからは、淡路島移住前に意識的にリモートによるメンバーとのコミュニケーションを増やしていました。正直、東京の家にいても、淡路島にいてもリモートワークをしている以上は同じ環境なので。
ただ、お互いの状況を共有するために、電話やメールでの状況報告は細かくするようになったと思います。連絡頻度は、意識的に増やしています。

社会的意義はあるのか―、大義名分を求められる


― そもそも岡田さんは、どうしてパソナに入社されたんですか。

ひとつは、大学時代にバスケットボールのクラブチームを立ち上げて、女子チームの監督をした経験からです。バスケットボールは交代が自由なこともあり、必ずしも上手い選手がスタメンで出るのではなく、選手一人ひとりの能力と特徴をみて選手が最も輝けるシチュエーションを考えながら選手交代を考えていきます。一人ひとりがどういうシチュエーションで輝けるかを考えるのがすごく好きだったんです。それを働くことに置き換えたときに人材サービスに興味を持ちました。

また、いくつかの会社でインターンシップをする中で、パソナグループで働いている社員の方々の人柄に憧れ、その想いに共感しました。個々人が色々な「熱さ」を持っているのですが、パソナグループの芯の部分は、代表の南部も役員のメンバーも、営業現場も同じビジョンが共有されていて、全員のベクトルが太い幹のように同じ方向を向いているところも魅力的に感じました。

入社後は営業部門に配属され、6年間くらい働きました。その中で、さらにパソナグループのことが大好きになり、皆が周りを助け合いながら楽しく働けるこの組織や文化がどのように作られているのかに興味を持ちました。会社の組織経営に携わってみたいと考え、経営企画部への移動を希望しました。

経営企画部で制度設計をするときに重要なのは、無機質なアイデアではなく、社員への愛情や、社員がどうすればいきいきと働けるかという視点です。
また、パソナグループでは新たに事業を始める際、「いつ黒字化するのか」や「どうやって儲けるのか」ではなく、パソナグループがやる意義があるのかという大義名分を求められ、その大義名分があれば利益は後からしっかりついてくるという考え方で判断します。そういう一つひとつのこだわりや想いが、パソナグループの組織文化を創り、パソナが動くことで社会に呼び掛け変革をもたらしていくという「装置会社」としての役割を果たせるのだと思います。

― パソナグループが進める「淡路島への本社機能の一部移転」には、そうした社会的意義があると思いますか。

今回のこのプロジェクトは、単に本社機能の一部を移転するということだけではなく、社会に対する新たな働き方・生き方の提言であると考えています。そういうことができる会社であることを、社員ながらに誇りに思います。
本社機能の一部を淡路に移転すると言っても、今では淡路であろうとどこであろうと、全国どこでも仕事ができる環境は整っています。ですから、一人ひとりがどういう働き方をしたいかが重要で、会社として多様な選択肢を提示することには大きな意義があるのではないかと思います。こうした自然に恵まれた環境の中で働ける選択肢があることは、社員にとっても会社にとってもとても素晴らしいことだと思います。実際に移住してみて、この働き方・生き方を自信を持って皆さんにお勧めしたいですね。



私の座右の銘は「強く、優しく、楽しく」で、これをいつも心に留めながら仕事をしています。芯の強さというか、やり通す強さを持つこと。そして、強さだけでは人は付いてきてくれないので優しさや気遣いもできる人間でありたいと思います。また、何より仲間と楽しく働くことが大事だと思っています。

さらに、何か一つ、仕事を離れても夢中になれることを持っていたいですね。今は、家族と過ごす時間も増え、娘との時間も大切にしています。10月5日に、住んでいる社宅の1階に「パソナファミリーオフィス」がオープンしました。社員が気軽に子供と一緒に出勤し、同じ空間で働ける体制が整っています。ピアノ、バイオリン、バレエ、空手、英語を習える環境もでき、さっそく昨日、娘はバレエ教室に行き、週末もバイオリンを習いました。バレエの先生は世界的に活躍されていた方で、ここまで教育環境が整っているところはないのではないでしょうか。娘と海を見に行ったり、ゴジラやハローキティの施設に遊びに行った時に、満面の笑みで楽しそうにしている姿を見ている時が一番幸せですね。

人生・仕事に影響を与えた本:『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(ロバート・フルガム著 河出文庫刊)

打算的になったり何を優先すべきか迷うこともありますが、人として大切にしなければならない基本的なことが、この言葉に集約されているように思い、迷うことがあったときはお守りのようにこの言葉を頭に思い浮かべます。
ビジネスの話では、『海賊とよばれた男』(百田尚樹著 講談社文庫刊)やヤマト運輸の元社長小倉昌男さんが書かれた『小倉昌男 経営学』(小倉昌男著 日経BP社刊)に影響されました。国の発展や社会のために自らの信念を貫き、国や規制と戦う姿に奮い立たされました。

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