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INITIATIVE「自分のキャリアは自分で創る」WEBマガジン

ひと 2018.10.30 シドニー2000パラリンピック 金メダリストが語る、夢・目標を実現する唯一の方法【前編】

話:株式会社パソナハートフル 杉田好士郎/文:INITIATIVE編集部

パソナグループの健康推進室で、ヘルスキーパーとして活躍する視覚障がい者の杉田好士郎さん。日々、グループ社員の健康相談の対応、マッサージや指圧による治療などを行い、その穏やかな語り口と的確な健康アドバイスには、グループ社員の間でファンも多くいます。そんな杉田さんは、実はシドニー2000パラリンピックの競泳4×100mメドレーリレーの金メダリスト。しかし、金メダルへの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。今回は【前後編】にわたり、今年6月に小学生向けに実施された杉田さんの講演内容をもとに、金メダル獲得までの軌跡や、夢や目標を実現するための方法をお届けします。

【後編】はこちら


パラリンピックスポーツという世界


私はシドニー2000パラリンピックの競泳4×100mメドレーリレーで、当時の世界新記録で金メダルを取りました。皆さんも、パラリンピックのことはご存知だと思います。障がい者アスリートたちの世界最高レベルの大会です。私が参加したのは、ブラインドメドレーリレーという、視覚障がい者4人が1人1種目ずつ泳ぎ、チームで競う種目です。私は第4泳者のアンカーで、クロールを泳ぎました。

私は生まれつき目が悪い視覚障がい者なのですが、全盲ではなく、弱視という障がいです。右目は0.01あるかないか、左目はかろうじて明るさが分かる程度です。
一口に視覚障害と言ってもその内容は様々です。色が判別できない人、視力はあっても見える範囲が非常に狭い人、全盲の人、弱視の人、そして弱視の中で見え方によっても様々な障がいがあります。

パラリンピックでは、障がいの内容や度合いによって細かくクラスが分かれていて、医師のメディカルチェックを受けて、自分の障がいと同じ程度の障がいを持つ選手たちと競技を行います。
東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、世の中もだんだんと盛り上がりを見せていますが、パラリンピックスポーツのことも色々と取り上げられるようになると思いますので、是非注目してみてください。

水泳を通じて得た自信


私は生まれつきの目の病気ですが、小学生の時は今よりもよく見えていました。当時はサッカーが大好きで、ずっとサッカー選手になりたいと思っていたのですが、高学年くらいから徐々に視力が落ちてきて、ついにボールが見えなくなり、サッカーができなくなってしまいました。

とはいえ、完全に見えなくなったわけではなかったので、中学校は地元の普通学校に通いました。そこで、さぁ部活動を何にしようかと考えたときに、先生の勧めで軽い気持ちで水泳部に入ることにしました。

しかし、入部してから気づいたのですが、水泳の経験がないのは私くらいで(笑)、他の部員はみなスイミングスクールに通って練習してきた人ばかりでした。全く知らなかったのでびっくりしました。「泳げるようになりたい人が入る部活ではなくて、泳げる人が入る部活だったんだ!失敗した!」と(笑)。

まずは見様見真似でやってみようと思いましたが、全く練習についていけず、苦しいだけで全然楽しくない日々が続きました。見様見真似と言っても、結局はよく見えなかったので、泳ぎ方自体が全く分かっていなかったのです。
入部して1カ月が過ぎたころ、先生が見かねて個別に指導してくれることになり、一対一で水中での動きを教えてもらうと、だんだんと泳げるようになっていきました。

そこからは早かったですね。泳ぎ方がきちんとわかって、ターンの仕方も覚えて、練習すればするほど体力もついて、早く・長く泳げるようになっていく。すると今度は泳ぐことが楽しくて仕方なくなりました。
夏休みには大会にも出場できるようになって、水泳においては「目の障がいは関係ない!自分はやればできるんだ!」と自信もついてきました。


苦手なことから逃げない


しかしその一方で、勉強の面で色々と問題を抱えていました。目の病気は少しずつ進行していたので、そもそも教科書を読んだり、黒板の板書をノートに書き写したりするのが、どうしても周りの人よりも遅くなってしまいます。書き写している途中で黒板が消されてしまい、後でノートを見返しても中途半端でよく分からない。だんだんと勉強が嫌いになっていき、「勉強なんてできなくてもいい!僕は水泳がやりたい!」といつも思っていました。

しかし当時を振り返ると、授業についていけないことを目が悪いせいにして、結局は勉強することから逃げていただけでした。

目が悪いことと、勉強ができないのは本来関係がありません。目が悪いことで不便なことや、皆と同じスピードでできないことはたくさんありますが、目が悪くても練習すれば泳げたように、勉強も頑張ればできるようになるはずです。

誰しも、得意なことと苦手なこと、言い換えれば好きなことと嫌いなことがあります。得意なことは少し辛くても頑張れますし、どんどん上のレベルに挑戦しようと思いますが、苦手なものは途端に嫌になってしまうものです。

しかし、苦手なことだろうと得意なことだろうと、今できないことに「挑戦すること」には変わりはないはずです。苦手なことをやるときでも、得意なことと同じように、「自分は今これに挑戦しているんだ!」と思いながらやると、勇気が湧いてきます。

苦手なことに挑戦するときのコツは、壁にぶち当たったら、一度、できるところまで戻ることです。立ち止まって考えて、今の自分はどこまでできて、どこから先ができないのかを振り返りながら、もう一度やり直してみる。特に苦手なことに挑戦しているときは、決して焦らないことが大切です。近道はありませんが、少しずつ着実にできるようになっていきます。

私も中学時代に通常の授業についていくことはできませんでしたが、自分なりのスピードで授業とは別に勉強していきました。

障がい者の水泳大会


そして、高校受験がやってきました。しかし、入りたいと思っていた普通科高校からは、障がいのある生徒は受け入れられないと言われ、受験すらさせてもらえませんでした。他にも探しましたが受け入れてくれる高校が見つからず、盲学校の高等部に通うことになりました。

盲学校に水泳部はありませんでしたが、それでも水泳は続けたくて大会にも出たかったため、学校のプールで一人で練習を続けていました。
しかし、夏の大会が近づいてきて出場したいと先生に相談したところ、盲学校の生徒は普通科高校の大会には参加できないと言われてしまいました。その時は相当ショックでした。大会に出て自己ベストを更新するために練習を重ねてきたにもかかわらず、出場の機会すら与えられない…。大会に出られないのであれば、水泳を辞めようかとまで思いました。

そんな中、盲学校の先生がパラリンピックスポーツのことを教えてくれ、障がい者の水泳大会に出場することにしました。

それまで、私は障がいがありながらも普通学校に通ってきたので、実は盲学校に通うまで他の視覚障がいの人に出会ったことがありませんでした。さらには、視覚障がい以外の聴覚障がいや肢体障害の方など、ほかの障がい者の方々とも関わったことがなかったのです。

そのため、初めて障がい者の水泳大会に出場したときはとても驚きました。
当時、私にとって生まれつき目が見えないのは仕方がないとしても、手や足があるのは当たり前だと思っていました。しかし、大会では私のような視覚障がいだけではなく、車いすに乗っていて足が動かせない人は手だけで泳き、腕がない人は足のキックだけで泳いていました。しかも、皆が結構速い!その様子に「えーっ!みんなすげぇなぁ!」と衝撃を受けると共に、皆それぞれに自分のタイムに挑戦したり、ライバルと切磋琢磨している様子に感動しました。

また、その大会をきっかけにたくさんの仲間ができました。中には、パラリンピックに出場したことがある選手が何人もいて、明らかに次元の異なる泳ぎにも衝撃を受けました。同時に、この凄い人たちに少しでも近づけたら、自分もパラリンピックに出られるかもしれないと意識するようになりました。
もちろん、当時高校生の私にとってパラリンピックは夢のまた夢でしたが、はるか遠くではあるものの具体的な目標になり、そこに近づくためにどうしたらいいかを真剣に考えるようになりました。

【後編】パラリンピックに出るためには!?

パソナグループはオフィシャルサポーター(人材サービス)として、東京2020オリンピック・パラリンピックを応援しています。
東京2020組織委員会人員の人事採用・配置・管理サービス、人材派遣等の領域に携わることで大会の成功に向けて貢献。また、企業研修等のサービスノウハウを活かして、アスリートの競技生活と仕事を両立させるダブルキャリアの支援をはじめ、東京2020大会を機会に新たな挑戦をスタートする方々の夢の実現をサポートします。
https://www.pasona2020.jp/

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