文:INITIATIVE編集部
日本には現在約91万人の外国人が働いているといわれており、その数は年々増加しています。今回は、パソナグループが1988年から実施している
「パソナ国際交流プログラム」でのインターンシップをきっかけに、日本でキャリアをスタートした外国人3人をご紹介。インターンシップがその後のキャリアにどう影響し、グローバルな環境でどのように自分の能力を活かしてきたか、3人のリアルストーリーをお届けします。
「インターンシップを通じて、日本で働きたいと強く思った」
日本で17年働くM&Aのプロフェッショナル
●ピナクル株式会社 マネージングディレクター ジェフリー スミス 氏
エール大経済学・数学学士。1996年パソナ国際交流プログラム参加。97年クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券にて、M&Aグループに従事。99年東京支店への異動とともに来日。その後、02年UBS証券にてクロスボーダーM&A案件を担当。直近ではゴールドマン・サックス証券 エクイティー部門にて、営業チームに従事。09年よりピナクル株式会社にて経営直轄の海外チームのリーダーを務める。
中学生の頃から着物や侍、扇子、生け花など、日本独自の文化に興味を持っていました。
高校から日本語を勉強し始め、大学でも経済学・数学を専攻しながら、日本語の授業を受けていました。1996年、大学3年生の終わりに教授の紹介でパソナ国際交流プログラムを知り応募、岐阜県大垣市の西濃運輸でインターンシップをしました。
西濃運輸ではロジスティクスの改善提案プロジェクトに携わり、プロジェクトの進め方を学びましたが、一番大きな収穫は日本とアメリカのビジネス文化の違いを学んだことです。例えば、日本ではチームワークを重視し、皆が机を並べて他の社員とコミュニケーションを図りながら仕事をします。また、社員への教育やサポート体制も充実していていました。社員同士の関係作りのため、野球観戦に行ったことも印象的でした。インターンシップを通じて日本企業で働く具体的なイメージを抱くことができ、「日本で働きたい」という気持ちが強くなりました。
▲1996年 神戸ハーバーサーカスを見学し、震災復興の取り組みに感銘を受ける(2列目左から3番目)
インターンシップ後は一旦大学に戻り、日本で働くための手段や今後のキャリアについて考えました。元々証券会社や金融業界に興味があったため、最初はニューヨークの証券会社に入社し、M&Aグループで2年間働きました。1999年、幸いにも日本でのスタッフ募集があり、自ら手を挙げて東京での勤務が決まりました。
現在のピナクルに入社したのは7年前の2009年。当時は日本企業の海外進出も活況で、M&Aも多く、ミドルマーケットと言われる売上数百億円規模の企業の海外展開をサポートしたいと考えました。経営直轄の海外チームのリーダーとして、海外とのネットワークをゼロから構築し、複雑な案件にもアドバイスできるようになったため、海外案件を2倍以上に増やしました。最近はベトナムやインドなどにも年に数回出張に行っています。
私生活では2007年に日本人女性と結婚し、2011年には日本の永住権も取得しました。現在は6歳と3歳の愛娘を持つ父親でもあります。日本文化は今でも大好きで、以前は毎年相撲を観に行ったり、歌舞伎や能を観に行ったこともあります。毎日新しいことを発見でき、勉強できるのが日本の大きな魅力です。
仕事で企業のM&A戦略に携わる中で、日本企業の海外展開はもちろんのこと、海外の方が日本をもっとよく知れるように、また日本人が海外のことをもっと知れるように、自分にできるサポートをしていきたいと考えています。
また、様々な国のプロジェクトに携わる中で、その国の歴史や文化が分からないとビジネスはできないと感じています。グローバル人材に求められることは、相手のやりたいことを考える「想像力」だと思います。相手の想いの一歩先を想像する、そして相手の言うことを「よく聴くこと」です。自分の主張を押し通すのではなく、相手が何を求めているのかをよく聴くことが異なる文化を持った相手を理解すること、そしてグローバルに活躍していくための第一歩だと思います。
外国法事務弁護士として日本で起業
夢の実現のためインターンへ参加
●モンローシェリダン外国法事務弁護士事務所 モンローシェリダン アーロン リード 氏
ニューヨーク州弁護士。2006年パソナ国際交流プログラム参加。09年ハーバード・ロー・スクール(J.D. / 法務博士)卒業。10年Simpson Thacher & Bartlett LLP入所。14年モンローシェリダン外国法事務弁護士事務所設立。現在は東京を拠点に、企業のクロスボーダーM&A、エクイティや債券等の証券発行業務、コーポレートガバナンス、その他一般企業法務等、幅広い法務分野を担当。また、13年から16年まで東京大学法学政治学研究科にて非常勤講師、16年から慶應義塾大学法科大学院にて特任講師、一橋大学大学院国際企業戦略研究科にて非常勤講師を務める。
日本に興味を持ったきっかけは、11歳の頃に見ていたアニメ「ドラゴンボール」です。ストーリーや絵の表現がそれまで見てきたアメリカのアニメとは全く異なり、その世界観にとにかく引き込まれました。その後、高校生のときに日本語を勉強し始めましたが、そこで更に日本に興味を持つようになり、大学でも日本文学を専攻しました。
大学2年生で日本へ留学をしてからは、日本で就職しキャリアを築きたいという想いを強くしました。そして、日本での働き方について考えた結果、より専門的な知識や技術を身に付けるべく、大学卒業後は法科大学院への進学を決めました。日本企業の海外進出やM&Aが多くなる一方で日本で働く外国人弁護士は少なく、活躍の場が広がると考えたからです。
パソナ国際交流プログラムに参加させて頂いたのは2006年、法科大学院に入る前の夏休みでした。日本で働くべく法科大学院への進学を決めたため、実際に日本企業で実務経験を積むことができるパソナ国際交流プログラムは、私にとってとても良い機会でした。
▲2006年インターン生のクリスさんと共同企画で英会話教室も開催(左)
パソナの営業部にてインターンシップを行い、主にクライアントへの営業同行や、エキスパートスタッフの方々へのヒアリングに同行させて頂きました。2ヶ月間の研修を通じて、人材ビジネスの成り立ちを学ぶことができました。最も印象に残っているのは、新規営業への同行です。初めてお会いする相手に対しどのように伝えたら受け入れて頂けるか、前向きな気持ちをいかに保つか等、勉強になることが多く非常に貴重な経験となりました。
日本とアメリカの双方に事務所がある法律事務所を探し、法科大学院卒業後はニューヨーク本社の大手弁護士事務所へ就職しました。そして、ニューヨークで2年間実務経験を積んだ後、2012年に念願だった東京事務所への異動が決まりました。
いわゆる「外国法事務弁護士」として独立し日本で起業したのは、2年後の2014年です。起業して自らビジネスを立ち上げたいという想いは常にありましたが、第二の故郷と思ってきた日本で起業をすることは夢でもありました。また、外国人弁護士のニーズが高い日本において弁護士として起業することは、日本語能力を含め今まで培ってきた自分の能力を最大限に活かすことができる道だと考えました。今は法科大学院の講師も務め、米国法や、国際企業取引に関する講義を担当しています。
「日本で働きたい」という思いから弁護士になることを決め、インターンシップを通じて学生のうちに実務経験を積み、最終的に日本で念願の起業を果たすことができました。自分の持っている能力を、どのフィールドなら最も活かすことができるのかを見極め、信じ、歩んできたからこそ、夢の実現に繋がったと思っています。
▲2016年度のインターン生に自身のキャリアについて語るリードさん(左)とスミスさん(右から2番目)
【後編はこちら】
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